那谷寺では、凝灰岩が露出した谷の中に、大工・山上善右衛門嘉広の手がけた建物が点在している。本堂、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院、いずれもその地形の中の配置と、木と岩の組み合わせ方が斬新。
本堂は入母屋だが、正方形平面で各辺に等しく屋根をかけている。図形的には四回回転対称ということになる。こうやって正面性を消しているのは、懸造の中でも特異なのではないか。その屋根には凝灰岩の石棟が乗る。下層の柱には2スパン目から石の柱が使われているのだが、それと呼応するように上下で角柱と丸柱が切り替わる。芸が細かい。
外構の細かい造作は凝灰岩を掘ることで解決していて、また不思議なディテールが出てくる。彼の時代にどこまでが作られていたかは分からないが、こうした岩との呼応を面白がっていたのだろうなと思う。
鐘楼も変わっていて、下層が石で作られている。袴腰でほぼ隠されているが、確かに袴腰の一番上に石の帯を設けて、その構成を示している。一説では、彼の父が柴田勝家の石橋を新潟で見ていた可能性があるということを読んだ。いずれにせよ、この凝灰岩の地形の中でそれを試してみたかったということなのだろう。
境内の解説文も途中から様式の説明を諦めて、「自由奔放」であるとまとめている。しかしよくよく考えれば、鐘楼の垂木割など、多くの部分では体系通りの仕事をしている。その体系の崩し方を一個一個見ていくと彼の緻密で丁寧な思考が追えるし、素直に共感ができるところが多い。
参考:田中徳英『加賀藩大工の研究―建築の技術と文化―』(桂書房、2008年)