『遠い山なみの光』を観た。カズオイシグロが書いた小説を、石川慶が映画にした。
本筋から少し離れたところに、「緒方さん」がいる。戦時中、校長先生をしていた経歴がある。
この映画で細やかに描かれる男性はこの人だけである。そのほかの男性は、無責任で利己的なつまらない男ばかりで、この校長先生だけが、ただ矛盾を抱えて、間違っていて、寂しそうである。
緒方さんは、「自分が一生懸命教えてきたものが間違っていた」という現実を受け入れられていない。教え子からの糾弾や、息子からの冷たい目線を受け止めることは簡単ではない。実をいうと、私の祖父の父も、戦時中に校長をしていたらしい。公職追放となった後は、家でお酒をずっと飲んでいたという。
イシグロはこの後もこの校長先生に似た人物像を度々描くことになる。『日の名残り』の執事もまた同じ葛藤の中を生きている。過去の間違いに気づいたとしても、人はそう簡単には変わることはできない。イシグロは、その微かな弾力の中に人間性を見ている。
物語の本筋は、校長先生の話とは別のものとしてある。校長先生の内的な屈折よりも、切迫した問題がある。それに、校長のように国に従ったことによる失敗と、主人公のように自分の判断で動いたことの後悔は、違うもののように見える。しかし、性質の違う過ちだとしても、同じように後に引きずるものとして、主人公は似たものを感じている。それで、葉書を大事にとってあるのだと思う。