『落下の解剖学』を見た
まるで読み聞かせのようだった。
映画にセリフが増えてしまったというのを嘆く人もいるけれど、この映画もセリフの数でいったらすさまじく、視覚的に鮮烈な演出があるわけではない。
けれど、視覚的な情報が限られるなかで、耳を澄ますこと、自分の判断を下すこと、ということがずっと求められる。
それは、主人公の少年の状況にも重ねられる。
落下というのは2つ意味があって、1つは夫の落下死についてと、もう1つは少し広い意味での行き詰まりについてということがわかる。
一つのミスから立ち直るためと思って、少しずつ無理な決断をしてしまい、徐々に自分のキャパシティーがいっぱいいっぱいになってしまう。
そのような地味な苦しみが少しづつ分かるようになる、耳を澄ますことができる、そういう繊細さがこの映画にはあった。