島崎藤村の『千曲川のスケッチ』と『破戒』の風景描写は、鏡合わせのようになっている。
随筆『千曲川のスケッチ』で藤村が見た光景は、小説『破戒』では主人公から見た光景に置き換わる。
『千曲川のスケッチ』
... 暗くなるまで私は雪の町を見て廻った。荷車の代りに橇(そり)が用いられ、雪の上を馬が挽いて通るのもめずらしかった。蒲で編んだ箕帽子を冠り、色目鏡を掛け、蒲脚絆を着け、... (中略)... 雪装束の人達が私の側を通った。
『破戒』
箕帽子を冠り、蒲の脛穿を着け、爪掛を掛けた多くの労働者、または毛布を頭から冠つて深く身を包んで居る旅人の群――そんな手合が眼前を往つたり来たりする。人や馬の曳く雪橇はいくつか丑松の側を通り過ぎた。
『千曲川のスケッチ』
上田から牛肉を売りに来る男があって、その男が案内しようと言ってくれた... (中略)....
死地に牽かれて行く牡牛はむしろ冷静で、目には紫色のうるみを帯びていた。
『破戒』
死地に引かれて行く種牛は寧ろおちつき澄ましたもので、他の二頭のやうに悪あがきを為するでも無く、悲しい鳴声をもらすでも無く、僅かに白い鼻息を見せて、悠々と獣医の前へ進んだ。紫色の潤みを帯びた大きな目は傍で観て居る人々を睥睨するかのやう。
...という具合で、無数に対応している。一見すると、正確な風景描写を小説に持ち込むためのように見える。けれど、もう少し丁寧に読むと、「風景を眺めること」に伴う、微細な心の動きを掬い取るためのようにも思える。
『破戒』前半、下宿の部屋で人生に思い悩んでいた丑松は、外に出て、半ば放心状態で畑を眺める。畑で働く農家の人たちの生き生きとした描写が並び、勇気を取り戻したり、翻って煩悶したりする。最後にこういう一文に行き着く。「丑松が胸の中に戦ふ懊悩を感ずれば感ずる程、余計に他界の自然は活々として、身に染しみるやうに思はるゝ」...山村の光景を眺めることが、自身の葛藤から抜け出せるような、新しい感覚を与えてくれるようなものとしてある。
中盤では、丑松と蓮太郎が風景を眺めながら千曲川沿いを歩き、長野の風景をどう捉えるかということを二人は語る。ここで、「平凡としりぞけた信州の風景は、『山気』を通してかえって深く面白く眺められるやうになつた。」という蓮太郎の発言のように、一見平凡に思われた風景を、積極的に解釈する眼差しが示される。ちなみに、ここでの二人の道中の様子は、『千曲川のスケッチ』で丸山晩霞と藤村が二人で歩いている場面に重なるものがある。丸山の絵...例えば『高原の秋草』の霧の描かれ方を見ると、上の蓮太郎の台詞は、もうほとんど丸山の実際の台詞として感じられる。
高原の秋草 / 丸山晩霞 1895〜99年
藤村は内省的だ。社会問題を扱いながら、そのその問題の解決よりもまず、自身の内面を変えようとしている(*2)。『千曲川のスケッチ』は、見る態度そのものの模索から始まる。些細な変化を一つ一つ丁寧に見つめることを、風景画家の姿勢から学びとり、それを感覚や生き方に結び付けようとしている(*3)。
こうした『千曲川のスケッチ』における自身の生き方や感覚を新しくしようとする過程は、主人公の価値観と生き方が変わっていく物語『破戒』として、明治後期の読者に届けられた。しかし、自身が風景の前で感じ取った微細な心の働きは、創作で再現できる類のものではなかった。それは、見たことをそのまま書くことでしか掬い取れない繊細で切実なものだったのだろうと思う。それで、二冊の本に、ほとんど同じ風景が広がっているのではないだろうか。僕は小諸に暮らしてみて、そう思うようになった。