ヒルマ・アフ・クリントによる10点の絵画『The Ten Largest 』が、展示室に並んでいる。展示室は、やや暗い。絵だけが明るく照らされているが、眩しくはない。
「絵だけが明るく.. 」というのは、簡単に考えれば、それはスポットライトと同じ原理に見える。ただ、厳密にいえば、それは照度の話だけではない。壁やベンチ・床はどれも暗い色が選ばれている。つまり、明度の話でもある。だから、この暗さは、テンペラ画の保存のためのように見えて、実は展示を準備した人が慎重に仕組んだ演出なのだとわかる。
といって、その薄暗さは、明度や照度の話だけでもない。絵の意味や、鑑賞者に求める態度としても、薄暗く、はっきりしない。例えば、絵から離れたベンチでは、ハンドアウトが読めない。絵にはキャプションもない。それでも、結構な数の人が、座っている。薄暗い空間のなかで、真面目に絵を見つめている人もいれば、湯気にまみれたサウナで放心しているぐらいだらっとしている人もいる。
そもそも、この10枚の絵は、確かにくっきりとした図像はあるけれど、そこにはどこか儚さがある。薄いクラフトを貼り合わせ、輪郭線の鉛筆や塗り残しがわかるような、そういうラフなところがある。例えば重厚な額縁に飾られた、筆致の一つ一つにじっと見入るような、そういう類の絵ではない。どちらかというと、連作でみて初めて何か言おうとしていることが分かるような、そういう側面がある(※1)。
明るい色彩と、くっきりとした図像。けれど、意味ははっきりとはしない。ぐるぐると展示室を回るうちに、あるいはベンチでぼうっとしているうちに「読後感」らしきものが朧気に立ち現れる... その曖昧さと儚さが、この「薄暗さ」の正体なのだと思う。
※1 そういう意図から、本人もアーカイブをきっちりとしたわけだと思うし、そしてこの展示のカタログがああいうデザインになったのだと思う。薄めの紙で、インデックスをわかりやすくしていくという判断
※2 あんまり野暮なので書かないようにしたけど、近美の混み具合のなかで他の展示室を圧迫するという判断そのものの是非はやはり問われるはずで、でもそれはこの展示一つで解決できる問題ではないのかもしれない。