品田遊のエッセイ集、『納税、のちヘラクレス』は、ちょっと不思議だ。短編の日記が続いているのだけど、哀愁なのか楽観なのか、無関心なのか丁寧なのか、どこにも振り切ることなく、文章が置かれている。
時折、ピントがあったように、鮮やかに筆者の問題意識が現れるときがある。大道芸人の話や、祖母の葬式に立ち会った日がそれだと思う。
そういう剝き出しのものがあるので、思考をなぞれる気もしてしまう。なぞれた気になって、この不思議なエッセイ集を思い切って単純化してしまえば、「雑多な文章のなかに、2つの主張が形を変えながら度々登場する」、と言える。
2つの主張というのは、「活発に動いているように見える周りの人も、実は本人も良くわからないまま受動的に生きている」ということと、「不器用な自分にはそれすらもできないときもある」ということ。それが、微妙にズレながら置かれている。
微妙にずれながら置かれているから、面白いと思う。この2つの主張が、一対一で対応していたら少し退屈になる。前者のほうに重きがおかれるとちょっと皮肉がつよいし、後者のほうに重きが置かれると哀愁がでてしまう。
そのテンポは、ジャズか何かのような狙いすましてずらしている感じではなくて、「そういう塩梅で物事を捉えるしか、日々の辻褄をあわせられないのだ」という、息遣いのようなものを感じる。
それは、毎日コツコツと日記を書くことでしか見えてこない凄み、ともいえる。だから、この、ふわりと厚みのある軽い紙でできた本が、不意に、ずっしりと重たいものに感じるときがある。